ここ最近、

【死】

というものについて、向き合う場面が多々
ありました。

この世に生を受けた、人という存在の全てに
等しく起こり得る出来事は、死のみであると
私は思っています。

私自身もこれまでに、あと数メートル、
いや数センチだけずれていたら、既に
この世に存在していなかったであろうと
いう出来事に数度遭遇しています。

そして、様々な死の形にも触れています。

震災で亡くなった同級生。

以前ブログにも書いた事があるのですが、
子供の頃のソフトボールチームのコーチ
であった男の最期は死刑。

☆彡その記事はこちら

2009/09/11
死刑と星島被告の判決
マンションで遺体切断、星島被告2審も無期http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090910-00000242-yom-soci昨日の報道をご覧になられた方は、どのように感じられたでしょうか。実は私には、かつて知っていた人物が、死刑囚であった事があるのです。その人物は津田暎事件当時年齢:44歳犯行日…
2016/03/25
何があっても大丈夫・・・
豊橋市 心理・スピリチュアルカウンセリング 神様カード パワーストーンの天使の和のブログへのご訪問、誠にありがとうございます!昨日のブログを経て、奇しくも今朝死刑囚二人に刑が執行されたという報道を目にしました。私にとってこの死刑という存在は、全くの関わりのない、遠い、遠い想像上の世…

その男に殺害された、チームメイト。

おそらく過労死であろう、同僚の死。

取引先の新入社員の自殺。

一番最初に、死というものに触れた記憶
は、小学校1年生の頃。

学校が終わり、友人宅で遊んでいた所、

【カッコーが、事故でなくなった・・・】

という話を聞いた時でしょうか。

その、カッコーとは同級生の女の子の愛称
でした。

学校直ぐ近くの横断歩道で、車にはねられ
亡くなったのです。

先日は、年末に

【又今年もどこかの神社でお会いしましょう】

そして、年始に

【おめでとございます】

といったメッセージを頂いていた方が、滞在先の
ホテルで、まさに突然亡くなっていたという
信じられない死にも遭遇しました。

私が、神・仏・いわゆるスピリチュアルという
世界に身を置いているのは、この死という
ものが、私自身のテーマの一つにあるから
だと思っています。

年末にある方にご縁を頂きました。

その方を仮に、Aさんとします。

私は高齢のAさんと、直接の面識はありません。

お客様が、そのAさんの後見人をなさっており、
意識がないような時もあるAさんが、

【しきりに何かを言いたそうな時があるが、
何を伝えようとしているのか分からず、
ただその姿を見ると辛くなってしまう】

という事でしたので、Aさんが伝えたいことが
分かるかもしれないと思い病院に伺いました。

その時のAさんは、呼びかけに対し反応はある
ものの会話が成立する状態ではありませんでした。

ただ、しきりに何かを伝えようとされていました。

後見人であるお客様と私は、そのAさんとの関係性
が異なります。

私は一切の感情を隅に置き、Aさんが伝えたい事の
把握に全ての意識を向けました。

すると、Aさんは両手を前後にゆっくり動かし
始めました。

その姿は、正に、船に乗ったAさんが、自分で櫓
をこいでいるかのようでした。

向こうの世界(亡くなられた方の行かれる世界)
へ少しずつ向かわれているような、そんなお姿
でした。

そんな、Aさんは、ほとんど聞き取れない声で何か
を囁いていました。

Aさんの口元に耳を近づけ、その言葉に意識を
集中した時、その言葉がハッキリと伝わってきました。

【良い人生じゃった!】

と。

お客様が、後見人であったという事はAさんの人生
には、複雑な事情があったことを意味します。

後見人であるお客様にとって、

【Aさんが幸せであったのかどうかの自問】

それが大きな重しとなっておられました。

そんなお客様に、

【良い人生じゃった!】

そう伝えたく、その手段として私に縁が繋がった
のでしょう。

Aさんは、そう伝えて程なく、眠りにつかれました。

その2週間後、Aさんの葬儀にも参列させて
頂きました。

死というものが人生のテーマの一つである私に
Aさんが教えて下さったこと。

それは、

【自らの力で向こうの世界に向かわなければ
ならない】

という事でした。

肉体から魂が分離した、いわゆる死という状態に
なるとその魂は、自動的に天国と言われる様な
向こうの、死後の世界に行ける訳ではないのです。

船に乗り、自らの力のみで魯をこいで向かわなければ
ならないのです。

私は今現在、カウンセリングというものに携わって
おります。

その理念は、

【自立のためのきっかけ作り】

としています。

自立とは、誰の力も借りないという事ではありません。

誰かの力、サポートを受けながらも、最終的に
自分は大丈夫と思える心の養成を意味します。

依存、頼り過ぎることなく、自分の力で前に進む事
が出来る様になるための少しばかりのサポート。

それが私の現生における、現時点での役割であり、
それがなされれば、いずれ訪れる死というものに
対し、迷い、恐れ、執着、それらがなく向こうの世界
に向かう事ができ、そして辿り着けたならば、
子孫の繁栄のための応援や、より良い自身の来世
の構築へとつながるのでしょう。

では、神様・仏様は何をしてくれるのでしょうか。

恐らく、神様・仏様は

【船を用意してくれる】

のだと思います。

その船自体は、全ての人に等しく同じ船なの
だと思います。

現生においてお金持ちの方は、豪華客船を用意
してくれるわけではありません。

神社・仏閣に多額の寄付をすると、ハイスペックエンジン
搭載のクルーザーが用意されている訳でもないのです。

では、神様・仏様に心を向ける、信心する事は無力、
無意味かと言えば、決してそうではありません。

そう心を向けていると、船のある場所まで容易く導いて
頂けるのです。

船を探す、船のある港を探しまわる必要がなくなるという
訳です。

いずれにせよ、櫓をこぐのは自分自身です。

そして、Aさんのように、

【良い人生じゃった!】

と言えるのであれば、その船が浮かぶ水面は
波風の立たない穏やかな状態で、ほんの少しの
力で向こう側に到着する事ができるはずです。

しかし、

【許せん、納得できない人生だった】

という想いが最後に残っていれば、その水面に
浮かぶ船は、向かい風あるいは嵐に巻き込まれ
ながら、自らの力のみで櫓を漕いでいかなければ
ならないのでしょう。

神様・仏様にただ手を合わせさえし続ければ、
救われる、そんな事はありません。

繰り返しますが、神様・仏様は等しく船を用意
してくださるだけです。

自分のみで櫓を漕ぐ事ができる、そんな自分に
なる事。

そして、船の浮かぶ水面の状態は、自分自身の
生きてきた結晶であるという事。

そう分かれば、どう生きていけばよいのか、どんな
日々を過ごしていけばよいのかが、自ずから
見えてきます。

今つくづくこう観じています。

必ず訪れる、様々な形での死というものに対し、

【Aさんのように、(良い人生じゃった!)】

人から見てどうであれ、自分自身そう思える事。

振り返って、こう伝えられることが、究極の目標で
あると。

【Aさん、こう観じさせて頂けたことに感謝申し上げます。

ありがとうございます】